全国解体工事業団体連合会は、解体工法の歴史やさまざまな工法を用いたコンクリート解体の実証試験の普及に努めている。
全国解体工事業団体連合会(全解工連)は2019年7月26日、「メンテナンス・レジリエンスTOKYO 2019」(会期:2019年7月24〜26日、東京ビッグサイト)で、セミナーを開催した。登壇した同会理事の湯浅昇氏は「解体工事の姿と解体技術の変遷」と題し、講演を行った。鉄筋コンクリート構造物解体工法の変遷や湯浅氏が生産工学部 建築工学科の教授として務める日本大学で実施した解体実験について解説した。
日本では、鉄筋コンクリート造の解体工事は歴史が浅く、工法の開発や研究が始まったのは1970年以降だという。
湯浅氏は、「国内の鉄筋コンクリート造の解体工事は、1955年頃にハンドブレーカが発売されるまで、手はつりで行われていた。1956年の有楽町ピカデリー解体工事は、ハンマーとノミで建物を壊したという記録が残っている。1960年には、スチールボールという大型の鉄球を落下させる重機が登場し、スラブの破壊などで活用された。1980年頃に圧砕機の使用が始まり、現在の解体工法の主流となる圧砕工法が広がっていった」と語った。
昭和以前の解体工事は、発注形式に問題が多い上、極端に低い価格で請け負うことが全体の大部分を占めていたため、費用をかけずに早く完工することが最重要目標とされ、公害対策は軽視されていた。
戦後の高度経済成長期は、廃棄物を分別せずに重機で建築物を破壊するミンチ解体や野焼き、不法投棄が横行した。2000年に、「建設工事に係る資材の再資源化等に関する法律(建設リサイクル法)」が公布され、ミンチ解体が違法となった。
また、1970年に施行された「廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法)」により再三に渡り、野焼き、不適正処理、不法投棄などの取り締まりが強められた。
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