莫大な負債からの再起をFMで、神奈川県住宅供給公社が明かす賃貸住宅の“有機的”なワークフローJFMA賞2020「神奈川県住宅供給公社編(上)」(1/3 ページ)

神奈川県住宅供給公社は、1991年のバブル経済崩壊を機に、経営が立ち行かなくなり、多額の負債を抱える事態に陥った。再起をかけ、ファシリティマネジメントを導入した結果、目覚ましい成果を上げ、事業継続の一助とした。今回、起死回生の取り組みとなったFM活用事例を紹介する。

» 2020年03月30日 10時00分 公開
[遠藤和宏BUILT]

 日本ファシリティマネジメント協会(JFMA)は2020年2月19〜21日、東京都江戸川区のタワーホール船堀で、第14回 日本ファシリティマネジメント大会「ファシリティマネジメント フォーラム 2020」を開催した。

 会期中に実施された講演のうち、神奈川県住宅供給公社 理事長 猪股篤雄氏が行ったセミナー「持続可能な社会構築のための広域FM」を取り上げる。

 セッションでは、第14回日本ファシリティマネジメント大賞(JFMA賞2020)で、「最優秀ファシリティマネジメント賞(鵜澤賞)」に輝いた事例が紹介され、多数の聴講者が関心を寄せた。

バブル崩壊で約2400億円の負債

神奈川県住宅供給公社 理事長 猪股篤雄氏

 神奈川県住宅供給公社は神奈川県住宅公社として1950年に設立された。翌年に横浜市中区にて第1号住宅として竣工した大和町団地は、戦後間もない住宅難の時代に、木造・共同トイレではなく、RC造地上4階建てで、専用水洗トイレを完備するなど、当時としては画期的な設備を備える共同住宅だった。

 1955〜1973年までの高度経済成長期には、県内に製造工場の建設が相次ぎ、生産拠点としての色合いが強まり、地方から移住し働く産業従事者用の住まいとして、神奈川県の各所に団地が建設されていった。また、東京都に金融と企業本社の一極集中化が始まり、人口集約と地価高騰で都内に住めない人が遠隔地の住宅として団地を利用するケースも増加した。

 社会的な背景もあり、堅調に業績を伸ばしていった神奈川県住宅供給公社が、ファシリティマネジメント(FM)に取り組む転機となったのは1991年に起きたバブル経済の崩壊だという。猪股氏は、「1991年の株価暴落や地価下落、金融機関の破綻で、日本経済は不況の嵐に見舞われた。不動産事業を主な事業としていた神奈川県住宅供給公社は大きな影響を受けた」と振り返った。

バブル経済崩壊後の神奈川県内の状況 提供:神奈川県住宅供給公社

 バブル経済崩壊に端を発した業績の悪化により、2000年には約2400億円の負債を抱える事態に陥った。2002年から行った、早期退職者募集などにより、最盛期に250人在籍していた職員が2006年には69人に減少した。借金返済に専念するために、土地資産の売却や老朽化した建物の建て替え禁止、大規模修繕の延期、新卒職員採用の凍結などを進めた。

 さらに、神奈川県が損失を補償する条件で、銀行シンジケート団が成立され、1200億円の資金を調達した。2006年には、全資産の売却を選択肢に含む民営化基本方針を打ち立て、2009年には民間企業から理事長を選任した。さまざまな検討がされたが、2013年には公社民営化計画は廃止され、公的機関として存続が決定するとともに長期経営計画を発表した。

 「長期経営計画を公表後、持続可能な社会の構築を目指して、FMを念頭に置いた人事や財務、ICTの活用を実行するとともに、公社の組織改革や新規職員の採用、団地再生などをスタートした」(猪股氏)。

 2014年には、格付け機関から評価「AA」を取得して、社債を55億円分発行し、2018年には多様な取り組みが奏功し、負債額が1000億円を切った。2020年には、1200億円の資金調達時に神奈川県と結んだ損失補償を解消し、同県からの利子補給も終了する予定だ。

神奈川県の団地の歴史 提供:神奈川県住宅供給公社
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