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» 2018年05月07日 07時00分 公開

建築(家)のシンギュラリティ(3):建築学の再編成──情報技術がもたらす新たな建築教育の可能性 (2/4)

[中村健太郎 NPO法人モクチン企画/企画協力:太田知也 NPO法人bootopia,BUILT]

安藤事務所から「コンピュテーショナル」に行き着くまで

N:既存の教育のあり方への疑問が、建築情報学を立ち上げられた動機のひとつにあるということが見えてきました。ではコンピュテーショナル・デザインによって日本の建築学を変えてゆくというアイデアは、豊田さんの中でどのように作られてきたのでしょうか。

T:自分自身、なんでコンピュテーショナルなものに興味があるのかを客観的に振り返ると、やはりこれまでの経歴がよく体現していると思います。

 GSAPPに行く前に所属していた安藤忠雄建築研究所では、ありとあらゆる情報をコントロールして建築を作るんですね。例えば、コンパネの割り付けを緻密に行って、それに木コンの入れ方とクギの位置まで厳密にデザインし、その中にこうやってスイッチプレートを入れて......という風に、すごく厳密な方法論があるんです。トレーニングさえ積めば、結果として誰でも設計の密度が必ず上がるシステムのようなものです。「安藤建築が自然の中で引き立つ」とよく言われるのは、そこで自然というカオスと、人間の意志によって厳密にコントロールされた秩序のコントラストが極まるからだと思うんです。自然に対峙する人間の意志の体現みたいなもの、それは確かに、とても面白い。

 でも他方で、アノニマスな人の思いの蓄積によってできてしまった形態だけがもつ強さ、というような、ある意味自然の一部のような人工物も非常に面白いと思うんです。僕は千葉県の埋立地エリアで育ったんですが、そこは周囲がほぼ全部が人工物で、そのことにすごく違和感を覚えていました。ところが国道を隔てた向こう側は検見川の元漁師町で、そこには何百年来の自然地形に基づいた漁師町の構造や建物がそのまま残っていたんです。

 僕、そもそも集落とか大好きなんですよ。でも、もしそれを形態的に100%コピーできたとしても、それまでの人の思いみたいな蓄積は絶対にやどらない。どんな優秀なデザイナーにも、いろんな人の思いの蓄積まで含んだ集落と同じ価値はデザインできない訳です。そういうデザイン不可能性というか、歴史の蓄積だけが持ち得る質のようなもの、これまでの建築家やデザイナーではコントロールしようが無かったものを、形のデザインだけにはこだわらない手法で再構築できるのか――。振り返ってみると、そういった領域に昔から興味があったんです。なので、日本建築史を学んでいた学部時代の卒業論文は「建築家という職能以前の、古い日本建築の数値を読み解くことで、そこに設計者の意図や洗練の度合いを評価することはできるか」がテーマでした。その経験は凄く大きいです。

 GSAPPやその後4年務めたSHoPでは、そうした興味を引き継いで、建築を100%コントロールしきるのではなく、コンピュータを介した間接的な方法で結果を作るということに取り組んできました。形を制御するパラメータが多すぎて、全てを理解できているわけではないんだけれどそこそこ効果的に制御して、コンピュータが返す結果を何らかの領域でこちらが許容したときに、人間によるコントロールでは絶対に生み出せない質や価値を作り出せる。そういった瞬間を探してるんです。

 例えばUberやAirbnb、WeWorkと言った近年台頭しているシェアリングサービスは、その影響範囲が流動的で、常に変化することを前提にしています。彼らの扱う全体は常に流動的で、ビジネス主体ですらある瞬間に全体がどうなるのか予測不可能なことが前提になっています。それでも彼らの提供するビジネスのしくみ、つまり社会のアルゴリズムは常に変化を許容しながら、一定の新しい価値を提供し続けます。全体の形そのものはデザインしていないのに、そこに生じてし合うしまう価値を間接的にコントロールしているといえるんじゃないでしょうか。こうした現在進行形で生まれつつある、すべてをコントロールできないことを受け入れるという新しいコントロールの仕方や、価値創出の手法が、建築デザインに入ってきたときにどうなるのか。そのノウハウとか体系を、建築家はまだ誰も知りません。それを作り出す努力を、みんなで一緒にしようよ、と。それが僕の興味だし、建築情報学を通じて訴えていきたい可能性の1つですね。

N:なるほど、集落の分析とコンピュータによる新しい建築の探求は、同じ興味でつながっているんですね。コンピュータによって、これまで再現できなかったタイプの建築の質が捉えられると。

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