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220年超の技術と精神を伝える清水建設の資料館「NOVARE Archives」探訪、旧渋沢邸も公開なぜゼネコンが歴史資料館を開館したか(2/4 ページ)

清水建設の「NOVARE Archives」は、オープンイノベーション拠点「温故創新の森 NOVARE」に設けられた歴史資料館だ。220年の歩みを通じて培われた技術と精神を紹介し、企業の原点を伝えている。本稿では、清水建設におけるNOVARE Archivesや旧渋沢邸の位置付け、また資料館の展示内容を紹介する。

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旧渋沢邸が持つ2つの特別な意味

 旧渋沢邸をNOVAREに設置していることも、清水建設にとっては重要な意味がある。旧渋沢邸は、清水建設の2代目にあたる二代清水喜助が設計・施工した建物として、唯一現存するものだからだ(創業者の初代清水喜助が手掛けた建物は現存していない)。「旧渋沢邸には、創業期から受け継ぐ『顧客第一』や『誠実なものづくり』といった精神が宿っている」と宮田氏は語る。

 さらに重要なのが、渋沢栄一が清水建設と非常にゆかりの深い人物であるという点だ。渋沢栄一は日本の近代資本主義の父といわれ、明治期における資本主義の確立に大きく貢献した。初の株式会社を設立し、約500社の設立や経営に関わるなどその影響は極めて大きい。その中でも清水建設は特に関係が深く、渋沢の『論語と算盤』にある道徳と経済の両立の思想を長年にわたり経営指針としてきた。これは、道理にかなった企業活動によって社会に貢献し、結果として適正な利潤を得て社業を発展させるという考え方だ。2019年には、『論語と算盤』を社是に制定している。そのため、「旧渋沢邸は社是の象徴でもある」と宮田氏は説明する。


旧渋沢邸。中央の「表座敷」を二代喜助が手掛けた。近代住宅史における流れを示す貴重な建造物として、2024年に「旧渋沢家住宅」として江東区指定有形文化財に指定された 筆者撮影

国宝級の儀式道具や江戸城ゆかりの品も

 ここからは、歴史資料館の展示内容の一部を清水建設の歴史とともに紹介する。最初の「導入展示」エリアで来館者を迎えるのが、社宝の「甲良家儀式道具」だ。華やかな意匠の墨つぼと手斧(ちょうな)、曲尺(さしがね)、墨指(すみさし)からなる。清水建設では、これらの複製を使って、毎年の仕事始めの日に1年の工事の無事と事業繁栄を祈る儀式「手斧始式」を行う。道具一式は、江戸幕府で作事方大棟梁(建築分野のトップ)を務めた甲良家から、1928年に譲り受けたものだ。甲良家が徳川家光時代に日光東照宮の造り替えの際に用意した2組のうちの1組で、もう1組は日光東照宮に奉納され、国宝となっている。

 1860年に完成した江戸城本丸大広間の上棟式で用いられたという「甲良家江戸城本丸大広間御上棟式 打盤・槌」も展示している。

ALTALT 1636年に制作された「甲良家儀式道具」(左)と「甲良家江戸城本丸大広間御上棟式 打盤・槌」(右)。打盤と槌には宝珠(玉)や分銅、七宝など全12種の吉祥文様が格式高く描かれている 筆者撮影

清水建設のルーツは江戸後期の宮大工

 建設業界には江戸時代から続く老舗と呼ばれる企業は多いが、清水建設はスーパーゼネコンの中でも2番目に古い約220年の歴史を持つ。「清水文庫」のエリアでは、初代から6代までの創業家時代の歩みを紹介している。

 創業者の初代喜助は宮大工として清水建設の基盤を築いた人物だ。富山県の農家に生まれ、日光東照宮の修理に参加して腕を磨いたのち江戸に出て、1804年、21歳の時に店を構えた。この年が清水建設の創業年とされる。江戸城西丸造営での仕事ぶりが諸大名家から認められ、活躍の場を広げていった。

 初代喜助が高い信頼を得ていたことを示すのが、1849年に神職に代わって建築儀式を執り行う許可を得たこと、また優秀な職人や芸人だけが名乗ることを許された「国名」を拝受したというエピソードだ。当時、大工がこのような許可を得ることは非常に珍しかったという。


中央が、初代喜助が上棟式の時に着用したとされる狩衣 玉虫織(復元)、手前に「日向」の許状 筆者撮影

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