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建築を"名乗って生きる"ということ、建築家・佐々木慧氏の軌跡と覚悟第2回「ArchEd+ Academy」建築セミナーレポート

自分はなぜ建築家を目指したのか――。NOT A HOTEL FUKUOKAや2025年大阪・関西万博のポップアップステージなど、話題作を次々と手掛けるaxonometric CEO 佐々木慧氏が、自らの歩みを通じてその問いに向き合った。幼少期の原風景から、藤本壮介建築設計事務所での日々、そして独立後の挑戦まで。“建築の面白さ”を信じ続ける若手建築家の思考を辿る。

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 建築の学びや交流を通じて知を次世代へ循環させる技術継承のプラットフォーム第2回「ArchEd+ Academy(アーキエデュプラス アカデミー)」建築セミナーが2025年10月20日、東京都港区の国際文化会館で開催。今回の講師はaxonometric CEO 佐々木慧氏。注目作を次々に世に送り出す若手建築家だ。これまでの歩みとプロジェクトを重ねながら、「なぜ建築家を目指したか」を語った。

原風景が育んだ“建築の原点”

 佐々木氏は1987年、長崎県島原市の生まれ。自宅の前には雲仙普賢岳がそびえ、周囲には田園と有明海が広がっていた。「当時は言語化できなかったが、本当に美しい風景」と思い返す。自然豊かな環境で育つ中、建築に興味を持つきっかけとなったのは父の存在だった。

 父の信明氏は当時、島原市で建築設計事務所「INTERMEDIA」を主宰。幼少期は、父のアトリエに足しげく通い、建築の世界に自然と親しんでいった。「『GA』や『新建築』が並び、分からないなりに眺めていた。父が建築家でなければ、この道を目指すきっかけはなかった」と述懐する。父のアトリエこそが建築家としての原点だった。

佐々木 慧 / Kei Sasaki
佐々木 慧 / Kei Sasaki
1987年長崎県生まれ。
2010年九州大学 芸術工学部卒業。2013年東京藝術大学大学院修了。藤本壮介建築設計事務所勤務後、独立。2021年axonometric設立

 高校までを島原で過ごした後は、福岡市内にある九州大学 芸術工学部に進学する。大学時代を「この時期に建築を少し頑張り始めた」と振り返る。同じ九州大学に通い建築家を目指していた兄の存在が大きかったのだろうか。大学の製図室にはほとんど行かず、自宅で黙々と課題に取り組む日々を送った。

 大学時代に2つの大きな経験をする。1つは父のアトリエでの手伝いだ。学部3〜4年の頃、学生の身ながら実施設計に携わる機会を得た。

 もう1つは兄とともに挑戦したコンペだ。「外の評価を受けて初めて“自分にもできるかもしれない”と思えた」と語る経験を経て、卒業設計で「密度の箱」を制作。床や壁に穿たれた開口の大きさを段階的に変化させ、空間を縦横に連続させるコンセプトモデルで、「せんだいデザインリーグ2010 卒業設計日本一決定戦」で“日本二”を受賞した。「今から見れば形式的だが、学ぶ対象が少なかったからこそ、自分の中で問い続けて導いた形だった」と佐々木氏は笑う。

実践と思索が交差した学びの時代

 2010年に大学卒業後は、設計事務所「SUEP.」でフルタイムのアルバイトとして働き、コンペや住宅提案など、さまざまな業務に携わることになる。

 SUEP.での実務で強く記憶に残るのが、佐賀県嬉野市での中学校と文化会館を一体的に計画したプロジェクトだ。「自分の設計思想の根っこを形づくった」という。

 2013年には東京藝術大学大学院に進学。ロンドンのAAスクール出身の建築家トム・ヘネガン(Tom Henegha)氏に師事した。年数回行われたワークショップでは、世界各国から集まった学生たちと多様な手法に触れた。「道端の石を拾って、これが模型だと言うなど、あまりにもハイコンテクストな発想ばかりで、最初は混乱した。でも、すごく面白かった」と当時を懐かしむ。

 修士制作では、神保町の都市分析をテーマに取り組む。「都市を分析し、そこから建築を構想する過程で都市的な視点が養われた」と語る。

 一方、大学院在学中も、父の事務所での実務を続けた。「人と異なる経験を積むことで、全く違う場所に行ける」と信じて建築に挑んだ。「多くの人から、建築の作り方や設計の方法を教わった」と感謝する。

「面白い」を突き詰める現場

 2018年、佐々木氏は学生時代に関わっていたプロジェクトが一段落したタイミングで、元々行きたいと考えていた藤本壮介建築設計事務所の門戸を叩く。学生時代に藤本氏のコンセプトブックを読み、「自分も建築を好きになれそうだ。この人のもとで働きたい」と憧れた事務所だ。ちょうど「サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン」のプロジェクトが終わり、海外案件が急増していた時期だった。

自身の建築家になるまでの歩みを語る佐々木氏
自身の建築家になるまでの歩みを語る佐々木氏

 事務所は、情報とエネルギーが渦巻く空間だった。「模型や図面、アイデアが空間中に充満し、誰かが新しい模型を置くと、すぐにディスカッションが始まるような場所だった」と思い返す。

 佐々木氏はほとんど休まず事務所に通い、どれだけ藤本氏を驚かせられるかと、何十もの模型をつくって夜を徹した。最初から「3年で出る」と決め、「学べることは全て学び、怒られることは全て怒られよう」と覚悟していた。

 身体で空間の強さを学んだことは、現在の佐々木氏の事務所運営にも通じている。そしてもう一つ、この経験で深く刻まれたのが、面白さが建築の原動力になるという信念だった。「藤本さんは建築に対してとにかくポジティブで、面白ければやろうという人だった。その突き抜け方を間近で見て、自分も建築の力を信じて面白いことを追求しようと決意した」と転機を語る。

藤本氏を越えるために独立を決断

 「事務所での日々は大変だったが、心地よく、テンションが高くて楽しかった」と話す充実した時間の中で、あるときふと不安がよぎった。「このままいたら、藤本さんを越えようという意識が薄れ、藤本さん以上のものをつくる自信を失ってしまう。独立しなければ」との思いが浮かび、次第に揺るぎない確信へと変わったという。

 3年の節目を迎え、退所を決意。藤本氏からは「こんなに案件を抱えて辞める人は初めてだ」と驚かれたが、気持ちは揺るがなかった。

 2019年、福岡に戻り「Kei Sasaki Architects」を設立。当初は仕事のあてもなく、自宅を拠点に学生たちとチームを組み、コンペや内装設計など小さな案件を積み重ねていった。そして、活動が少しずつ軌道に乗り始めた2021年、「axonometric」を設立した。

旅しながら暮らすという新しい建築

 相互利用できる分譲型ホテル「NOT A HOTEL FUKUOKA」のプロジェクトは、2020年に始まった。コロナ禍を経て人々の価値観が変化する中、「旅をしながら暮らす」という新しいライフスタイルを提案するプロジェクト。「住宅と別荘の中間のような建築の在り方に可能性を感じた」と語る。

 敷地は、公園や神社、学校が並ぶ福岡市内の閑静な住宅街。ホテルが建つような場所ではなかった。そこでクライアントの意向で地元住民への丁寧な説明を重ね、地域との共存を前提に計画を進めた。

 佐々木氏は周囲の庭付き二階建て住宅のスケールを踏まえ、複数のボリュームを立体的に積層させた都市のような建築を構想した。高さやプロポーションは、公園に影を落とさないようにミリ単位で調整し、開口位置や大きさも近隣との関係を踏まえて設計。植栽には、街と建築を緩やかにつなぎ、密度を変化させることで室内のプライバシーを確保する役割を持たせた。

 一方内部は、各室で間取りやインテリア、視線の抜け方を変え、高級ホテルとしての多様な体験をつくり出した。クライアントとの共創、地域との共存、自然との調和。多層的な関係の中で佐々木氏は、「設計は理想だけでは成立しない。関わる人が"同じ方向を向く"ことで建築は立ち上がる」ことを学んだと語った。

「NOT A HOTEL FUKUOKA」
「NOT A HOTEL FUKUOKA」 Photo by Yasu Kojima

万博の会期をポジティブに変換する構造実験

 また、大阪・関西万博のポップアップステージ 北も紹介。音楽や祭りなどのイベントに使われる小規模なステージ広場で、佐々木氏が手掛けたのはメインステージと無数の丸太がワイヤで宙に浮かぶ森のような空間だ。

 プロジェクトでは建材の再利用を設計の核に据えた。短期間で終わる万博では避けて通れないテーマだった。

 当初は、メインステージ脇の広場に角材を束ねて林立させ、会期後に解体や再利用する案を構想した。しかし、製材は再利用が難しく、乾燥や密度調整にもコストが掛かることが判明しため、未製材の丸太を用いるプランへと転換した。丸太を互いに接触させず、ワイヤで吊(つ)って均衡を保つ「テンセグリティー構造」で空間を構築。会期終了後、金物を取り付けた端部を切り戻し、製材として再利用する意図だ。

 丸太を使うことにはもう一つの狙いがあった。木材乾燥プロセスを万博の会期と重ねることだ。森から建材への流通ルートに万博の会期を挿入することで、その一時性をポジティブに捉え直した。

 こうして、メインステージ横に丸太が浮遊する象徴的な広場が誕生した。屋根も壁もない空間では、子どもたちがかくれんぼをしたり、ダンスを始めたりと、偶発的な活動が自然に生まれた。佐々木氏は「動線がゆるやかに誘導され、ぼんやりと通り抜ける広場でも人の居場所が立ち上がる。面白い体験だった」と振り返る。

大阪・関西万博の「ポップアップステージ 北」
大阪・関西万博の「ポップアップステージ 北」 Photo by Yasu Kojima

 自身の経験を踏まえ、誠実に設計と向き合ってきた過程を語った佐々木氏。最後に演題「なぜ建築家を目指したのか」について、「建築家を目指したというより、どこかで“建築家を名乗って生きていく”と決めた瞬間があった。いまもその決意を続けている途中だ」と述べ、締めくくった。

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提供:株式会社プランテック
アイティメディア営業企画/制作:BUILT 編集部/掲載内容有効期限:2026年1月19日

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