建築の未来を創造する学びのプラットフォーム「ArchEd+ Academy」が開講した。リアルセミナーの第1回に登壇した建築家の小堀哲夫氏は、故郷の原風景、世界各地の土地の歴史を巡る冒険、教育の実践といった自らの建築観を形づくった原点と、これからの「私たちの建築」とは何かを語った。
少子高齢化による人材不足や技術継承の途絶により、建築の世界を支えてきた知の体系が失われつつある。こうした危機を打開するために、総合建築設計事務所「プランテック」よりスピンアウトしたArch Nexsus Foundationが創設したのが「ArchEd+ Academy(アーキエデュプラス アカデミー)」だ。学びや交流を通じて知を次世代へ循環させる技術継承のプラットフォームとして、2025年8月にβ版の提供を開始した。
2025年9月16日には、第1弾となる建築セミナーを東京都港区の国際文化会館で開催。建築家で法政大学 デザイン工学部 建築学科 教授を務める小堀哲夫氏が登壇し、「私が建築家になった理由」と題して自身の原点と設計思想を語った。
講演の冒頭で小堀氏は、近年強く意識している「We-ness(私たち感)」 と「物をつくる力」のキーワードを提示した。We-ness(私たち感)については、「建築には公共性がある。依頼するクライアントがいて、建物を受け入れる町がある。そうした人々と一緒につくる感覚がなければ、建築は成立しない」と訴えた。
物をつくる力については、「日本の設計教育はデザインに偏りがちで、手を動かしてつくる経験が不足している」と指摘。萩原朔太郎の詩「大工の弟子」を引用し、そこに刻まれた「自然や生活、現実の厳しさを引き受ける大工の姿勢こそ学ぶべきだ」と提言した。
小堀 哲夫 / Tetsuo Kobori岐阜県で生まれ育った小堀氏。幼少期に宮大工だった父が建てた寺の境内で遊び、大きな屋根を見上げて「自分も建築をつくりたい」と願った。当初は大工を志したが、中学で「一級建築士」の存在を知り、設計の道を選んだ。
その後、東京で学ぶ学生時代、帰省中に自宅の窓から見えた風景に心打たれた。夏の水田の緑、秋の稲穂の黄金色、刈り取り後に咲く蓮華の紫。移ろう田園風景を目にし、「自然と建築は切り離せない」と感じた。
大学では建築史家の陣内秀信氏のゼミに参加。イタリアをはじめアジアや中東、チュニジアまで幅広く調査し、まさに建築史で冒険そのものを体現した。
その旅で小堀氏は2つの学びを得た。1つは現地で溌剌(はつらつ)と活動する陣内氏の姿に感銘を受け、「好きなことに徹底して向き合うと、人は生き生きする」ということ。もう1つはフィールドワークで出会った人々の建築観だ。彼らにとって建築は“私たちの建築”として、誇りと愛着を持って語られており、建築が地域に根ざして語り継がれる姿を体感した。
現在、母校の法政大学で教鞭を執る小堀氏は、ゼミ教育の柱に「フィールド・ベースド・ラーニング(現場に出て学ぶ)」「プロジェクト・ベースド・ラーニング(プロジェクトを通して学ぶ)」「ヒューマン・ベースド・ラーニング(人に会い、対話から学ぶ)」を掲げる。世界中で人や場所と交わりながら学びを育む、陣内ゼミでの経験は小堀氏の建築観の根底に息づいている。
大学院を修了後、小堀氏は組織設計事務所の久米設計に入社する。そこで得たのは、「設計者から、施工者、法律の専門家までが、垣根なく交わる関係性の中で建築をつくる喜び」だった。「早稲田大学 大久保キャンパス63号館」のプロジェクトでは、「現場で監理しながら、ものが立ち上がるプロセスを学べたことが財産になった」と述懐。
プロジェクトの区切りが在籍10年目の節目と重なり、2008年に独立を決意。3人で事務所を立ち上げ、「資金も乏しく、苦しかったが、かけがえのない時間だった」と懐かしんだ。
講演後半は、小堀氏が独立後、世に生み出してきた数々の建築作品を解説。最初に取り上げたのは、2017年に日本建築学会賞を受賞した静岡県浜松市の研究施設「ROKI Global Innovation Center -ROGIC-」。障子のようなフィルター素材で天井を覆い、仕切りを設けず「間」を思わせる大空間とした。窓は全て開閉可能で土地の風や光を取り込む。
設計には、早稲田大学 建築学科教授 田辺新一氏の「外部に近いと感じられる空間では、人は不快を訴えにくい」との思想が生かされている。小堀氏は「オフィスの窓を開けるなど考えられなかった時代に、自然とともに働ける場を思い描き、自然環境との共生を再定義した 」と述べた。
また、小堀氏が設計者に起用された帝国劇場の建て替えにも言及した。新たな帝劇のイメージは、周辺の自然環境から着想。濠に隣接し、その先に皇居の開かれた空間がある立地でふさわしい建築とは何かを考え、劇場が薄い布に包み込まれるかのような「The Veil(ザ・ヴェール)」のコンセプトを導き出した。「完全に閉じるわけでもなく、完全に開くわけでもない。奥に潜むものの気配を残しつつ、光や風を透かし込む。普遍的で見え隠れする関係を持たせた」と説明した。
建物の「軸性」にもこだわった。劇場を90度回転させ、入り口から客席の「ゼロ番」、舞台を中心軸に据えることで、新たな秩序と格式の創出を狙った。
3代目となる帝劇の設計構想には、世界各地での実体験が反映されている。ギリシャ神殿のように開き切るのでも、エジプト神殿のように閉ざし切るのでもない。その中庸に、日本らしい劇場の姿を求めている。
最後に紹介したのは、名古屋大学東山キャンパスの「東海国立大学機構 Common Nexus(コモンネクサス、通称:ComoNe)」だ。敷地には若き日の槇文彦氏が設計し、日本建築学会賞を受賞した「豊田講堂」があり、その存在が設計案の出発点となった。
1960年の新建築に掲載された大高正人氏の論評では、「環境を離れた個性の誇示は都市の混乱を招くとし、豊田講堂を名古屋の美しく大きな空と丘陵の起伏を生かした建築」とある。そこで小堀氏は古地図から谷状地形(谷戸)を読み解き、造成で失われた起伏を「谷戸広場」として回復する構成を提案。建物は地形と一体となるように納め、文系/理系の学生が交わる場とした。
小堀氏は「建築家にとって大切なことは、その土地で自分に何ができるかを考えること。最終的には、地域の人々が『私たちの建築』と感じてもらえれば」と持論を総括し、講演を締めくくった。
講演後には、ArchEd+ Academy Dean(学長)で国士館大学 名誉教授の国広ジョージ氏が聞き手となり、小堀氏と対談した。
国広氏が今後の作品について問うと、小堀氏は「伽藍(がらん)のような大屋根の空間を創りたい夢と、沈黙に身を置ける小さな居場所への憧れがある。言い換えるなら世界へ“飛翔”したい心の高まりと、地元に“根”を張る気持ち。両方を実現できる建築があるはず」とし、世界的な感性を取り込みつつ、地域固有の建築を追求したいと抱負を口にした。
建築家の仕事については、「独り立ちし、自分の名で引き受ける緊張感が(設計事務所所属とは)決定的に異なる」とし、「あなたに頼みたい」というクライアントと覚悟を共にする関係性が質の高い建築を生み出すと強調した。一方で経営に関しては、「創業時の苦労は糧となったが、これからは若い世代へどう伝えるかが課題だ。建築はon the jobでしか学べない」としつつ、海外研修による「体験の共有」を重視し、同じ場を見て語り合う時間が学びを深めるとした。言葉を受けて国広氏は「社会を変える建築と次世代育成に今後も期待したい」と結んだ。
ArchEd+ Academyでは今後、建築の歴史や最新トレンドを解説するYouTube動画の配信と、著名建築家を招いた特別講演会やワークショップを定期開催する。他にも、建築設計者向けの実践的なカリキュラムや国内外の共創コミュニティーなど、オンラインとオフラインを融合した豊富なコンテンツの提供で“知の循環”を促し、建築業界を志す若手のキャリアアップを支援していく。
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