建築学の再編成──情報技術がもたらす新たな建築教育の可能性建築(家)のシンギュラリティ(3)(1/4 ページ)

建築学と情報工学の融合が進む昨今、これからの「建築家」という職能はどう変化していくのか――キーパーソンへのインタビューを通して、建築家の技術的条件を探る本連載。第3回は日本におけるコンピュテーショナル・デザインの第一人者であるnoizの豊田啓介氏とともに、これからの建築教育について考えます。

» 2018年05月07日 07時00分 公開

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 建築学と情報工学の融合が進む昨今、これからの「建築家」という職能はどう変化していくのか、という問いをテーマに、キーパーソンへのインタビューを通して建築家の技術的条件を探る本連載。第3回は日本におけるコンピュテーショナル・デザインの第一人者であるnoizの豊田啓介氏お話を伺い、これからの建築教育について考えます。


中村(以下、N) 第3回のテーマは建築の「教育」です。建築家を育てる教育は、単なる職業教育以上の意味合いを持ちます。バウハウスを挙げるまでもなく、アヴァンギャルドな建築的実践の多くは時代を代表する「スクール」から生まれました。建築学と情報工学の交点にも「コンピュテーショナル・デザイン」と呼ばれる学問領域があり、MITをはじめとする幾つかのスクールが時代を作ってきました。

 今回お話を伺う豊田啓介さんは、建築デザイン事務所noizを共同主催されており、日本におけるコンピュテーショナル・デザインを用いた設計活動の中心人物の一人でいらっしゃいます。さらに、リサーチベースの研究会「noiz EaR(noiz Experiments and Research)」や、建築情報学会1の立ち上げ活動を進めるなど、情報技術による建築の在り方の定義を積極的に試みられています。

 また、豊田さんが留学されていた米コロンビア大のGSAPP(Graduate School of Architecture, Planning and Preservation、建築・計画・保全研究科)2という大学院は、今日のコンピュテーショナル・デザインの潮流を形作ったスクールの1つであり、各地に散らばった出身者たちによる実践は現代のアヴァンギャルドとしてのデジタル建築の一翼を担っています。ゆえにその影響について検討することは、本連載においても極めて重要だと考えています。その一方で豊田さんは、GSAPPに留学される前には安藤忠雄建築研究所に勤務し、東京大学時代には日本建築史を専攻されていたという意外な経歴もお持ちです。今回は豊田さんの来歴や実践についてお伺いしつつ、情報技術が可能にする新たな建築教育の可能性について考えたいと思います。今日はよろしくお願いします。

豊田(以下、T):よろしくお願いします。

豊田啓介(とよだ・けいすけ) 東京大学工学部建築学科卒業、コロンビア大学建築学部修士課程終了。安藤忠雄建築研究所、アメリカのSHoP Architectsを経て、2007年より東京と台北をベースにnoizを蔡佳萱と共同主宰(現在は酒井康介もパートナーに加わる)。2017年に金田充弘、黒田哲二と共同で、建築・都市とデジタル、ビジネスを繋ぐコンサルティングプラットフォームのgluonを設立。台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京藝術大学芸術情報センター非常勤講師、慶応大学SFC非常勤講師。http://noizarchitects.com/

1.建築情報学会は「建築情報学」を提唱する建築情報学会キックオフグループらが立ち上げを目指す、建築情報学の学会。http://10plus1.jp/information/2017/10/archinfo-001.php

2.GSAPP(Graduate School of Architecture, Planning and Preservation)は、米コロンビア大学に設置された大学院レベルのデザインスクール。名称を訳すなら「建築・計画・保全研究科」。都市計画やアーバン・デザイン、歴史保存、不動産開発などを専門とする。1881年設立。

「建築情報学」とは何か

N:豊田さんは昨年から立ち上げ準備が始まった建築情報学会に関して、建築情報学を「建築をデジタル技術による広がりの先に再定義するための理解や技術の体系」だと述べられていますね。このような場所が必要だと思われたきっかけはなんだったんでしょうか。

T:実は建築情報学みたいなのものに取り組みたいというのは、SHoP Architects3(以下、SHoP)を退職し、米国から帰ってきた2007年ごろから考えていました。

 現在では意匠設計から建築史まで、どの建築学の分野も多かれ少なかれコンピュータと関わらざるをえません。だからこそ情報技術には、各分野をつなぐ横串になる可能性があります。また情報工学の領域では、都市や建築といった実空間に情報空間をシームレスにつなぐ技術が盛んに研究されてきました。最近はゼネコンやデベロッパー、都市計画の領域でもコンピュテーショナルな技術の重要性が理解されはじめ、機運が盛り上がってきています。

 しかし、情報技術の研究者たちがこちら側と協働したいと思ってくれた時、あるいは都市や建築の領域で情報技術を取り入れた新しい価値を創出しようと考えた時、現在の建築業界はそれを受け止めるだけの理解と技術体系を備えているでしょうか。我々が情報技術をちゃんと理解し、そうした分野とつながる“接続端子”を準備していかなければ、ただでさえ動きの遅い建築という領域が社会に置いていかれてしまうという危機感があります。

 こうした空気は建築界になんとなくは共有されているけれど、それぞれの立場によって解像度がバラバラーー今はそんな状態でしょう。でも僕はそこはバラバラでもいいと思っているんです。この状況の中で漠然と生まれつつある体系に、とりあえず「建築情報学」という名前をつけて、分野を超えた共通概念を事実先行でみんなで作っていく、その過程こそが大事だと考えています。建築のデジタル化が目的というよりは、デジタルを使っちゃうことで既存の建築学や建築という価値のあり方を考え直していくというスタンスなんです。

「Diagram for Expanded Dimension of Architecture」(CC BY-NC-ND 4.0) 出典:noiz

 さらに教育という観点でいうと、現在の日本における建築学の各分野は互いに分断されてしまっている――それが建築情報学を立ち上げた背景にある問題意識の1つです。現状の建築学における意匠・構造・環境・材料といった領域の工学的な役割分担は、敗戦を経て、みなが同じ方向を向いて成長を目指していた高度成長期までの日本においては、ある種の最適解だったと思います。

 しかし、現在と昭和の社会状況を比べると、日本には世界的にも類を見ないくらいの構造的変化が起きている。また、先ほどお話したように、情報技術の発展により、各分野を横断した取り組みが求められ始めているのも確かです。そうした社会情勢にもかかわらず、建築教育はいまだにエンジニアリングに重きをおいた工部大学校以来の枠組みを引きずっています。例えば日本で建築を学ぼうとすると、慶應SFCなど特殊な例を除いてほとんどの場合「工学部」か「美術学部」のどちらかを選ぶしかない。しかも主流が工学部なので、どうしても「誰にも批判されないこと」を積み上げてゆくような建築教育に寄ってしまいがちです。

 対してアメリカには「建築学部」があります。建築学部は意匠・計画・歴史くらいしかやらなくて、それ以外の設備や構造といった部分はエンジニアリングスクールが担当しています。中でも僕が通っていたコロンビアのGSAPPの場合は、全体の中から1人でもいいので、ケタ違いな人材を見つけるための教育をやっているという印象でした。つまり、その1人が1000の価値を生み出せるのであれば、その方が社会に及ぼす影響も大きくなるという考え方なんです。あまりにも構造のリアリティを持ってない建築家が多すぎるというのも問題ではありますが、仮定的に何かのタガを外してみることで初めて見えてくる領域があることも事実です。日本の教育はそういう新しい価値や大きな影響をもたらす人を生み出す可能性を、あまりにも摘みすぎているのではと感じています。こうした状況も変えなければいけないという思いがあります。

N:なるほど、建築情報学は社会状況の変化にあわせて日本の建築学を再構成する契機と捉えられているわけですね。

3.SHoP Architectsは、ニューヨークを本拠地とする建築設計事務所。BARCLAYS CENTER(2012)など、コンピューテーショナル・デザインを積極的に取り入れた作品でも知られる。1996年設立。

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